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今日はひさびさに、読書記録以外の投稿を……。
と、いうことで。私は本日、下のセミナー(@オンライン)↓に参加させていただきました。(^^)/
実は以前にも(でももうほぼ1年前にもなる……)1度だけ参加したことはあったのだけれど、それ以降は離れており。
今回久しぶりに講演を拝聴したので、その記念(?)もかねて少し、印象に残った内容や私が考えたことなどをここへ書き残しておこうと思う。
私が今回の話のなかで特に印象に残ったのは、「どのように註解をつけても、原詩と訳詩では本質的な齟齬が存在する以上、訳詩には『翻案』が必要になる」ということ(セミナー中にとったメモより)。ちなみに例としては「海潮音」という詩において原文ではキリスト教の色がかなり含まれているが翻訳時にはその雰囲気を取り払い、「花の教」として完成させたこと、とか、(これは原文のタイトルをメモしそびれてしまったのだけれど(しまった!))歌曲へと作り変えるときに大幅に省略した部分があったこと、だとか、そういったものを挙げられていた。
そしてそのような話のなかで「必ずしも一語一句忠実に訳せばよいというのではない。その原詩の詩想(ポエジー)を醸し出すことこそが重要」という内容のことを仰っていた(はずな)のだが、私はこれを聞いてものすごく納得した。同時に、今までの私にはなかった視点を得られた、ような気もした。
私は以前、「ニルスのふしぎな旅」という児童文学の翻案を読んだことがある(とはいえ、まだ1巻だけなのだけれど……)。なおそのときのことは、下の投稿で書いた。↓ でね。
読み終えた後にそれが「翻案」だったと気が付いたとき、私は正直「しまった~」とちょっぴり思ってしまった。なぜならそのときの私はまだ、「『原文に忠実な訳』こそがその本来の内容や感情を、読者に伝えてくれる」とばかり信じこんでいたからだ。
けれど、今回のこの「図書館の余白」の講義に参加した後の私は、当時とは少し違った考えが生まれつつある。「『忠実な訳』が細かな部分まで精密に情報を伝えてくれるのは、それはもちろんのことだけれど。でも『翻案』もとい『ある程度、訳者による解釈や再構成などが織り交ぜられたもの』であるからこそ、伝えられる部分だってあるのでは?」というふうに。うーん、なんだか「翻訳」って今まで私が軽く考えていたよりも、うんと奥が深そうだぞ……。
と、いうことで。とりあえず、今回のこの講義内容を受けて私がいま「やってみたいなあ」と考えていることは4つある。
1つは、この『ニルスのふしぎな旅』を、翻案版も翻訳版も含め、さまざまな種類のものを読んでみること。「原作は全く同じ物語なのに、そこからどのような違いが生み出されていくのか?」「どのような工夫が施されているのか?」などということについて、自分で実際に感じながら考えてみたいのだ。
もう1つは、『ライ麦畑をつかまえて』を、これまたいろいろな訳のバージョンで読んでみること。私は今までに、村上春樹さんの新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は読んだことがある。が、それ以外の訳者のものはまだ読んだことがないのだ。ちなみに今少し調べてみると、いままでに訳されたものとしては下記の4種類があるようだ(出版年順に)。↓ ただし現在も書店などで入手できるのは、2と4のみらしい……。悲しい(すべてを読み比べてみたかったんだぞ!!)。
- 『危険な年齢』:橋本 福男 訳, 1952年
- 『ライ麦畑でつかまえて』:野崎 孝 訳, 1964年
- 『ライ麦畑の捕手』:繁尾 久 訳, 1967年
- 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』:村上 春樹 訳, 2003年
なお別の方のブログで違いについて説明してくださっていたページを見つけたので、参考までに引用させていただきます。
ほんの2ページほどチェックしてみた。見にくいかもしれないが、左が橋本訳、真ん中が野崎訳、右が村上訳だ。
鳥打帽子 ハンチング ハンティング帽
3つの邦訳 – MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ (goo.ne.jp)
耳垂れ 耳あて 耳あて
手袋をくすねた 手袋をかっぱらった 手袋をかっぱらった
押入れ 押入れ クローゼット
おりやそんな物はいらん おれは用はねえや そんなもの俺はいらないんだからさ
一撃くれてやるべき 一発くらわす がつんと一発くらわして
きもつたま 度胸 ガッツ
ぬすつと ぬすっと こそ泥
× この汚らしいゲジゲジ野郎め この薄汚ねえこそ泥野郎が!
決着させよう かたをつけようじゃねえか 話をはっきりさせようぜ
愉快なことじゃないよ イカさないもんさ 愉快なことじゃないんだよ
一向むとんちゃく あんまり気にしないんだな そんなに気にしない
カンカンに怒らせた 怒らしたもんさ 逆上させた
かもしれん かもしれない かもしれない
やつてのけるべきだ ぜひそれをやるべきだよ そうするべきなんだ
グデングデンに酔っぱらった めちゃくちゃに酔っぱらった ひどい酔っぱらい
3つ目は、今回のセミナーの「関連書籍」として挙げられているものを読むこと(以下のもの)。
図書館の余白:Library, Poetry | オープンセミナー | 東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC) (u-tokyo.ac.jp)
- プレヴェール 『プレヴェール詩集』(小笠原 豊樹 訳、岩波文庫、2017年)
- 上田敏『海潮音』(新潮文庫、1952年)
- 坂井修一『世界を読み、歌を詠む』(ながらみ書房 、2021年)
- 大森晋輔『フランスの詩と歌の愉しみ: 近代詩と音楽』(東京藝術大学出版会、2012年)
- 榊原貴教(編)『「翻訳詩」事典 フランス編』(大空社出版、2018年)
読むことで今回の講演の解像度を、私なりに少しでも上げられるといいなあ……、なんて。
そしてそして、最後に。スウェーデン語を学んでみたい!!である。これはなぜかというとずばり、『ニルスのふしぎな旅』を原文で(いつか)読んでみたいからだ。(まあ「ニルス」が読めるようになるところまでたどり着くには、そうとうな時間がかかるだろうけれどね。笑)
今私は「英語」と「ラテン語」を勉強中なのだけれど(フランス語は一旦お休み中^^;)、ラテン語が一区切りついたら、スウェーデン語もかじってみようかな~。
今回の振り返りはこれでおしまい!久しぶりの(といってもまだ2回目でしかないけれど。笑)セミナーは、やはりとても面白かった。
また次回以降も興味が湧いたテーマのときには、積極的に参加させていただこうっと。(^^)/