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少し前に読んだ本のなかに、こんな一節があった。日韓の架け橋となり日本の文学作品などを韓国語へ翻訳されている、韓国の翻訳家の方のエッセイからである。
しかし、いくら幸せな仕事でも一定量を超えると脳が飽和状態になり、これ以上は死んでも続けられないと思う瞬間がやってくる。日本語を見るだけで胸やけがする。眠くもないし、時間だってたっぷりあるのに。こんなときに備えて、ノートパソコンのそばにはいつも韓国語の本が2~3冊置いてある。シリアスだったり重苦しい内容でもいけないし、軽すぎたり幼稚でもいけない。活字で飽和状態になった頭で重い話を読むのは言語道断だが、かといって貴重な時間に暇つぶし用の本を読むわけにもいかないから。
というわけで、いつもそばに置いて、すきま時間に1~2篇ずつ大切に読んでいる本が『시옷[시옷はハングルの子音字母の一つ「ㅅ」のこと。S音にあたる。日本語のサ行に近い]の世界』だ。ㅅで始まる言葉をテーマにした、34篇のエッセイ集である。(中略)
そういう意味で『시옷の世界』は、とても良質な韓国語充電用のバッテリーである。「もぞもぞと這っていく虫の後ろには、くねくねした小道ができあがった」「虫はにわかに木の枝を捨て、ひょうひょうと背を向けて、そそくさと消えた」といった多彩なオノマトペや、美しい韓国語がぎっしり詰まった詩人のエッセイ、これ以上うってつけの読み物があるだろうか。
『ひとりだから楽しい仕事 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』P184~186, クォン・ナミ:著, 藤田 麗子:訳, 平凡社, 2023年1月18日
この文章を読んだとき私は「ああ、なんて美しい佇まいなのだろう……」と思った。少し頭を休ませたいとき、それでいてやはり「言葉」とふれあいたいとき。母国語で書かれた小さな優しい短編にじぶんを委ねて、つかの間の「ほっとした時間」を過ごす。とても憧れる、すがただと思った。「言葉」とともに生きる、そんなお仕事をされているナミさんにぴったりの。
実は私にも、「いま読んでいる短編集」たるものがある。江國香織さんの『都の子』という作品で、ナミさんが大切に食んでいらっしゃった『시옷の世界』と同じく「エッセイ集」なのである。ただこちらはアンソロジーではなく、江國さんがひとりで書かれたもの、という違いはあるけれど(引用した部分外で、『시옷の世界』はアンソロジーの短編集であるということが記されていたのだ)。
短編集。それにはやはり、たとえば長編の小説などとはちがった力があるのだと思う。美しかったり優しかったり、哀しかったりする表現をゆっくりと「食むように」味わって、余韻にひたったり。ページを繰る手が止まらないスリリングな物語だってもちろん良いのだけれど、やはりゆっくりと、心にそれを染み込ませるようにしずかに楽しみたいときだってあるのだ。そんなときには無論「短編集」こそが、出番であり力になってくれるのだろうなあ……なんて、思ったりする。
ふと顔をあげ、目の前に置いたマグカップが半分、冷めかかっていることに気がついた。おっといけない。あわてて手を伸ばし、(それでも一応)軽く息を吹きかけてからずず、と啜る。ほどよいぬるさを含んだレモンが、ゆっくりと口の中にひろがる。
この文章——いま私が読んでいる短編——に触れたという記憶も、このレモンのぬるさのようにすぐに消えてなくなってしまうものなのだろうか。こんなに優しい時間があったよということだって、いつかは忘れてしまうのだろうか。
もう一度ずず、と啜る。やっぱり私はこれからも、短編を「食む」ように味わうということを続けていく、のだと思う。
今回引用した本
『ひとりだから楽しい仕事 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』
クォン・ナミ:著, 藤田 麗子:訳, 平凡社, 2023年1月18日
『都の子』
江國 香織:著, 集英社文庫, 1998年11月25日
今回の投稿を書くにあたって、インスピレーションを受けた曲
ヨルシカ『風を食む』