読書記録 -『生き延びるためのアディクション』

読書記録 -『生き延びるためのアディクション』


*Please note that this page may contain some affiliate links.
※当ブログでは、アフィリエイト広告(リンク)を利用しています。


生き延びるためのアディクション – 株式会社金剛出版
www.kongoshuppan.co.jp

『生き延びるためのアディクション 嵐の後を生きる「彼女たち」へのソーシャルワーク』
大嶋 栄子 (著), 金剛出版, 2019年10月20日


図書館本。隣の区のN図書館で、「医学」の棚を物色していたときに目につき手に取った。実は私、自身が当事者の域に足を突っ込みつつある(?のか?笑(←笑うとこじゃない))のと、以前松本俊彦先生著の『誰がために医師はいる』という本を読んだのとで、依存症・アディクションというテーマにはかねてより興味を持っていた。だから今回のこの本も、かなりドキドキ!!!しながら読み始めた……。


どんな本?

「嗜癖」というものに頼らざるをえなかった人たち、そのなかでも特に「女性」に焦点を当てて、それでもしらふで生きてみようとする彼女たちに対して「そもそも、なぜ『嗜癖』の力を借りなければならなかったのか?」「どのようにして『その後』の彼女たちと関わってゆけばいいのか?」といったことを、とても丁寧かつ詳細に論じている。なおこの本の内容は、著者・大嶋栄子さんが博士論文として執筆されたものを大幅に加筆再編されたもの、とのことだ(序章より)。

気になった箇所の引用

 ④セクシュアリティ混乱型
 性暴力被害体験や性同一性障害、あるいはセクシュアル・マイノリティであることなどを背景に、自らの身体とセクシュアリティに混乱を抱えるタイプである。性暴力被害体験を伴う場合、身体に対する嫌悪感や不浄感があり、その感覚を払拭するために嗜癖行動が選ばれる。あるいは性における欲望が同性に向かう、自分の身体の性別と心のあり方としての性別にずれがあるという気づきが自分を揺るがし、みずからの立つ足下が崩れるような不安を抱える場合に、嗜癖による酔いが救いとなる。このように自分の存在は他者から受け容れられないと認識する背景には、性暴力被害における被害者非難の言節や、セクシュアル・マイノリティに対する異端のまなざしがある。また女性嗜癖者にとって最も親密で庇護されることを願う母親との関係では、配慮よりも服従や支配、あるいは心理的な遺棄などの体験があり、孤立したまま放置された。このためほかのどの型よりも自己否定、虚無感が強く、しばしば嗜癖行動が無意識に自己破壊衝動と結びつくと、死亡など致命的な結果を迎えることから、援助者の緊張を高めるタイプでもある。解離症状をもつ場合があり、表面的な適応力だけで生活適応力を判断することは不適切である。医療機関では統合失調症、PTSD、抑うつ状態などさまざまな診断名で治療を受けているが、嗜癖問題に気づかれずに放置される場合がある。女性嗜癖者のなかでは最も対応が難しく、しかも嗜癖が止まると、これまでの生活における悲惨な出来事を生々しく回想するため、医療的管理が必要となる。薬物療法を受けることもあるが、逆に処方薬依存を呈し、異性関係にのめり込むなど、救済者願望の強さもあって援助からの脱落が最も懸念されるタイプである。身体的にも生理周期の乱れや甲状腺異常、極端な筋肉の硬直など、さまざまな不定愁訴を抱えるのも特徴である。

P85

 また、このスケールでは嗜癖行動への気づきや内省が随所に散りばめられ、「男も女もない」といった同一評価が前提となっている。しかしながら私がべプコを引用して整理したように、女性嗜癖者の多くが性的虐待や親のアルコール依存症をはじめとする機能不全家族のなかで生きてきたこと、いわば自分ではどうしようもない状況で嗜癖問題を抱えるに至ったが、にもかかわらず強い恥辱を感じていること、そして女性嗜癖者への容認度が男性よりも低いことは、何人もの研究者による調査で裏書きされている。したがって女性嗜癖者の回復は、自分の過ちを率直に認めることからではなく、自分に何が起こっていたのかを知ることから始まる。それなしに内省を促すことは、エヴァンズとサリヴァンが言うように、標準的な「ステップワーク」(AAやNAにおける12ステップに沿った回復を実現すべく取り組むこと)が失敗し、逆効果になるだけだろう[41]。

*[41] Evans, K & Sulivan, M. (1995) op.cit. (P145より)

P111~112

 以上、親密圏をめぐる議論を概観してきた。私は嗜癖からの回復におけるこの「親密圏」が、当事者にとっての居場所と適度な距離のある安全な関係性を意味するとして、回復を支援する施設やSHGなど共通の目的をもった「場の共同性」がそれに相当するのではないかと考察したことがある。退出可能な場の共同性には、”関心を寄せる” 多くの他者のまなざしがある。人が死なないでいることへの肯定を、そのまなざしが支えるという構造が親密圏の強みである。そしてその強みは、回復過程に大きな影響をもたらしているのではないだろうか。

P115~116

 Outsidersは嗜癖対象へと本人を誘う。最初は一緒に使うこともあるが、泡のように消えるその場限りの関係である。しかし女性嗜癖者はOutsidersが危険な人であるかどうかがわからない。彼女たちにとって日常が危険であり、むしろ非日常が安全という感覚がある。さらに攻撃と密着を ”愛情” と勘違いして教えられてきたために、ジェットコースターのような生活が、嗜癖問題をさらに複雑なものにしていく。Outsidersは次々に入れ替わるが、乱気流のなかの暮らしのほうが、スリルがあって充実している感じがするため、そこから離れることは簡単ではない。
 他方のPeerとは、一緒に使う(あるいは行動する)つながりのある他者を指す。共通の空虚感を抱えるが、嗜癖行動のみが共有されている。同じく決まった場所で酒を共に飲む、あるパチンコ店で大体同じ時間に見かけるうちに言葉を交わすようになる、同じ病院で治療を受けているなど、接点をもちながら生活には深入りしない。Peerとの相互関係が嗜癖行動を促進していることから、その情報が女性嗜癖者にとっては必要、あるいは有益なことがある。たとえば手っ取り早く稼げてアルコールが飲める仕事の紹介、当たりが出やすいとされるパチンコ台、あるいはスロットをめぐる最新情報、または治療スタッフの弱点など、嗜癖行動を促進するのに役立つこれらの情報は、同時に嗜癖に溺弱するのが「自分だけではない」という気持ちにさせてくれる効果をもたらす。Peerは「共に回復する人」ではなく、「共に使いつづける人」である。そのため、本人が嗜癖行動を止めると同時にPeerとの関係は次第に薄れて消滅する。

P169~170

 このように比較してみると、行動嗜癖の場合には、すぐに生命を驚かす身体への影響は少ないが “ない” とは言えない。そして化学物質嗜癖の場合には、まさに身体のすみずみまで影響を与え、後遺症を残すものも少なくない。そもそも女性嗜癖者の場合には、自分の抱える困難(多くは心の痛み)を一時的に麻痺させ、なかったことにする目的で嗜癖を使うため、身体変化に気づかないことが多い。したがって身体はたしかに「そこにある」にもかかわらず、当事者には見えておらず、感じられないものになっている。

P173

 しかし先述したように、自傷をした場合に援助者側から叱責されたり、ため息をつかれたりしながら処置されるのか、あるいは淡々と処置を進めながらも丁寧なその後の手当てについて説明されるのかによって、本人のその後の援助希求行動は大きな影響を受ける。生活の適応が以前と比べて進んでも、身体に関しては、何がどれくらい苦しければ助けを求めていいのかわからず、混乱がひどい当事者については、こうしたケアの場における良い体験 / 悪い体験のどちらをより多く蓄積しているのか、今一度確認しておく必要がある。また私のフィールドワークからも、身体のケアについては薬物を投与される処置より、実際に身体に働きかけられる体験のほうが、当事者にとってより重要であると考える。熱を測ろうとすると額に手を当てる、脈を取る、カイロを腰にあてるなどのささやかな手当ては、すぐに症状緩和へとつながるものではないにせよ、当事者にとっては「(自分の)身体を第一優先に考える」という具体的な実践である。そして同時に、他者が自分(身体を含めた)に関心と配慮を示す事実として残る[ⅳ]。

(中略)

[ⅳ] ここで述べた「残る」とは文字通り、記憶と記録の両方で残ることを意味する。というのも、しばしば身体は女性嗜癖者にとってしらふの状態が一定期間続いてはじめて気づかれるものであり、それまでの記憶が蓄積されないことがある。しかも血液検査の結果として残る記録より、点滴が血管に入らず看護者が皆で苦労した記憶は、みずからへの関心と配慮の記録となって、後に当事者の記憶を補完し身体への認識へとつながる場合が多い。

P189, 199

 親密圏の特徴は、そこにいる人の承認である。さまざまな困難の掛け合わせのなかで、女性嗜癖者たちは生き延びる手段としてアディクションを使ってきた。被害体験は、しばしば自分より弱い物に対する攻撃性や加害体験と地続きである。その意味で、重い暴力、激しい暴力に曝された人ほど、被害体験だけでなく加害体験をもっている。女性嗜癖者の被害者性を述べるとき、家族病理とすぐさま結びつけ、因果関係のなかに問題を矮小化する応答を見かける。しかしそのような単純な所作では、絡まり合う関係性を捉えることはできない。

P193~194

 多くの女性嗜癖者は、はじめから嗜癖問題を主訴として援助者の前に現れるわけではない。たとえば松本は、若者の自傷という行為をアルコールや覚せい剤といった薬物で「故意に自分の健康を害する」嗜癖行動の一環として捉え、援助者側が誤解する「人の気をひくための演技・操作的行動」ではなく、命がけの援助希求行動であると述べる。そして少年施設(少年鑑別所、少年院)に入院中の少年(女子も含む)三〇〇名あまりを調査対象とした結果、少年施設に入所する女子の五六・七%、男子の九・三%に性被害体験がある(一般高校生は女子の四・三%。男子の〇・六%に被害体験がある)と報告している[16]。

*[16] 松本俊彦(二〇一〇)『アディクションとしての自傷——「故意に自分の健康を害する」行動の精神病理』星和書店(P263より)

P218

 ただし、援助者が本人にアルコールや薬物あるいはギャンブルなどを止めさせることはできず、いわば敗北を認めるところから援助関係を始めるというこの逆説は、アディクションアプローチの基本的な立ち位置でもある。その意味では、医療機関の外部で当事者によって形成された自助グループへ、回復の大きな役割を医療は譲り渡してしまったかに見える。医療機関が向き合うべきは、本人が何かに対して過剰な依存を必要としているその背景であり、なかなか消えない辛い精神症状であり、依存によって傷んだ身体ではないかと考える。それでもやはり回復が最も深く立ち上がる場はコミュニティのなかにあることを、私は同時に確信している。

P271

※2024年6月に下書きに書いたきり、放置していたもの。今いだいた感想を当時の引用に添えるのも(自分の中で)納得がいかないので、このまま投稿することにした。

そら / Sora

通信制高校に在籍中の18歳。 気に入った本や、日々の生活を通して感じたことなどを思いのままに綴ります。 趣味は読書、手芸、それに音楽を聴いたり歌ったりすることです :) I am Japanese, 18 years old and a homeschooler. Keep up with my daily life and journals!! Fav -> Reading, Handmade, Music, etc

Leave a Reply

  • Post last modified:September 5, 2024
  • Post category:Books