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◎前回(第1章「徴候」)の投稿:読書記録 -『徴候・記憶・外傷』- 第1章「徴候」 | FUTURE KEY
『徴候・記憶・外傷』
中井久夫 (著), みすず書房, 2004年3月19日
気になった箇所の引用(第2章「記憶」)
私たちは、外傷性感覚の幼児感覚との類似性を主にみてきて、共通感覚性 coenaesthesia と原始感覚性 protopathy とを挙げた。
もう一つ、挙げるべき問題が残っている。それは、私が「絶対性」 absoluteness と呼ぶものである。
この「絶対性」の出発点は「絶対音感」である。「絶対音感」は、外界の音響を物理学的ヘルツ数で捉え、音楽的訓練を受けた人なら、それを「ドレミファソラシド」で表現する。これに対して相対音感は、音階と音階との間隔で捉える。絶対音感はわが国で最相葉月氏がモノグラフを刊行するまで十分注意されなかった(14)。
私の臨床経験によれば、絶対音感は、精神医学、臨床心理学において非常に重要な役割を演じている。最初にこれに気づいたのは、一九九〇年前後、ある十歳の少女においてであった。絶対音感を持っている彼女には、町で聞こえてくるほとんどすべての音が「狂っていて」、それが耐えがたい不快となるのであった。もとより、そうなる要因はあって、聴覚に敏感になるのは不安の時であり、多くの場合は不安が加わってはじめて絶対音感が臨床的意味を持つようになるが、思春期変化に起こることが目立つ。※(14) 最相葉月『絶対音感』小学館、東京、一九九八。
P58~59
私は自閉症患者が特定の周波数の音響に非常な不快感を催すことを思い合わせる。
P59~60
絶対性とは非文脈性である。絶対音感は定義上非文脈的である。これに対して相対音感は文脈依存的である。音階が音同士の相対的関係で決まるからである。
私の仮説は、非文脈的な幼児記憶もまた、絶対音感記憶のような絶対性を持っているのではないかということである。幼児の視覚的記憶映像も非文脈的(絶対的)であるということになる。
ここで、絶対音感がおよそ三歳以前に獲得されるものであり、絶対音感をそれ以後に持つことがほとんど不可能である事実を思い合わせたい。それは二歳半から三歳半までの成人型文法性成立以前の「先史時代」に属するものである。最相が挙げる音楽家たちの絶対音感はさまざまなタイプの「共通感覚性」と「原始感覚性」を持っている。たとえば指揮者ミュンシュでは虹のような色彩のめくるめく動きと絶対音感とが融合している。
視覚において幼児型の記憶が残存する場合は「エイデティカ―」(Eidetiker 直観像素質者)といわれる。
外傷性記憶は、一般に通常の記憶に比して、
(1) プロトパシー的である。その鮮明性と対照的に言語化が困難である。その独特の感覚の「質」はその一つである。
(2) 「非文脈的」(絶対的)である。この非文脈性は生涯をつうじての不変性、静止性、反復出現性、絶対性(非相対性)、前後関係と時空的定位との不可能性となって現れる。外傷夢の場合は夢作業による加工が行われていないということも、その一つであろう。何年、何十年経っても昨日のごとく再現される。身体外傷が八ヵ月でほぼ瘢痕治癒するのと対照的であって、心の傷の大きな特徴ということができる(ヴァレリーの『カイエ』にあるとおり「体の傷はほどなく癒えるのに心の傷はなぜ長く癒えないのだろう。五十年の失恋の記憶が昨日のことのように疼く」)。もっとも、古い身体的外傷もセネステジー的に「うずく」ことはある。(中略)
(6) また、情動と感覚との距離が近く、しばしば感覚か情動かの区別がつきにくい。このことは、直接的な嫌悪、驚愕、恥辱、マヒを引き出す触覚以下の近接感覚において顕著である。視覚、聴覚などの遠距離感覚は、刺激の対象化(客観化)を目指す感覚であるために、直接に情動と結合することもあるが、触覚などの近接感覚に触発されて二次的に生じる結合も多い。身体的現象とされる「古傷が疼く」のも、実際には心的外傷の共通感覚的想起であるのではなかろうか。
P63~65
外傷関連障害においては、恥辱感をはじめとする情動との連合性によって、患者は多くの症状を進んで語らず、その結果、さまざまな病名を告げられ、誤診に異議を唱えず、多年にわたって誤診にもとづく治療を受け入れていることが多い。これは治療者の大いに留意するべき点である。
言語化の第二の重要な意味はストーリーとしての自分史の形成が言語化を介して行われることである。エピソード記憶は言語化によって命題記憶となり「自己史連続体」の一部に繰り込まれる。
もっとも、これには個体差があるらしい。古いウォルターの研究を思い起こすところである(19)。「立方体を思い浮かべて下さい」という指示によって、図式的な立方体を思い浮かべる者が八割、色彩と陰影と重量感とを帯びた実体としての立方体を思い浮かべる者が一割、全然映像が浮かばず、その数字的性質例えば六面の正方形より成り、稜は一二、などを想起する者が一割という事実である。脳波においてα波の出現の仕方の違いと対応し、両極に位置する人間一割同士では議論がかみ合わないという。この三つのあり方には対応するような自己史連続体の相違があるのではないか。すなわち、感覚映像本位の場合も、感覚映像が挿絵化し単純化している場合も、全く言語的記憶より成る場合もあるということだ。バートランド・ラッセル(20)は、その自伝において、自分にはイメージが全然沸かず、文章は名文の暗記と模倣とによって学んだと述べている。確かにラッセルの文章を読んでも視覚映像は喚起されない。しかし、自伝はまた、生涯悪夢を見つづけ、八十歳にしてようやく止んだとも述べている。両者は相補的なのか。※(19) Walter, W. Grey : Living Brain. W. W. Norton & Company, N. Y., 1953.
P67~68
※(20) Russel, B. A. : The Autobiography of Bertrand Russel. Routledge, London, 2000.
ここで、夢について触れる必要があるだろう。私の子どもの観察であるが、ある子はしばしばうなされ、苦悶している時期があって、何とかしなければ、と思った。ところが夢を片言にせよ言語化することができるようになった途端に苦悶は止んだ。別のある子には、成人言語性を獲得してしばらく、親の後を追いかけてでも夢を聞かせようとする時期があった。私が言語の「減圧力」をまざまざと実感したのは、この観察によってである。
P69
人生の後半において日常観察されるとおり、ある人名を想起できないとき、「ほら、あの年に入学した」とか「何の会で会ったときこんな服装をしていた」とか「確か名前は森で始まっていたかな」という索引を語って相手にコミュニケートしようとする。漢字や外国語の単語も、若いときには記憶しているかしていないかが画然としているが、人生の後半においては意味は忘れてもどこそこで出会った、何の本に出てきた、誰との会話にあったという「索引性」は残っている。これはある意味では当然であって、人名や単語は偶有的なものであり、文脈はこれに対して大きなネットワークである。
P74~75
長谷川式などの記銘力テストで低い値を示す老人の中にも文脈の雲が存続しているのであろう。なるほど、この文脈ネットワークは次第に組織性を失って「いい加減」になり、ついには混沌化するであろうけれども、その潜在的組織度は予想よりも大きいのではないか。家族との会話は初対面の人との対話よりもはるか後まで可能だという事実がある。この場合、文脈の共通性にたよってコミュニケーションが可能である。「あれが、あれが」「ちょっとこうやってみて」が通じるのが家族である。あるいはネットワークの結節点ともいうべきもの、たとえば小学唱歌を契機に記憶が予想外の鮮明性をもってよみがえる。索引は言語的なものだけではない。視覚映像、聴覚映像などの裏打ちがある。「顔はもう浮かんでいるのですが名前が出てこない」という場合が少なくない。漢字が書けなくなっているのに新聞が読める場合はふつうにみられる。とくに聴覚映像は非常に鋭敏な個体認知性を持っている。年配者のクラス会で容貌、体型からはわからなくなっている同士が声を聞いて思い出すという事実、あるいは長年会ったことのない友人の声が電話でも直ちに認知できるということ、そして植物状態からの回復において、愛していた肉親のささやき続けが、職員などの呼びかけよりも強い回復力を発揮するということが例証となるであろう。
「索引性」が個別知覚を束ねて共通感覚に近い場合があるということは、プルーストの『失われた時を求めて』の中の、紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだとき。あるいは石段のくぼみを踏んだときにそれと関連した全情景が魔法のようにたち現れる物語が端的に示している。
このように索引性は成人言語の成立とともに出現し、時とともに成長し、個人差があっても言語化性がやりやすくなる。文脈性の次第に増大するネットワークがメタ記憶を組織体として維持しているのであろう。メタ記憶は決して全くの混沌ではないと私は思う。
図式的記憶と思われがちな地理的記憶も、実際は徴候的・相貌的な面を基底としている。これは少年時代の通学路を「足が覚えていて」いつのまにか目的地に着いてしまうという体験一つからも理解されよう。
感想と思考
「文脈」について考える、ということ。ともすれば忘れがちで目の前に呈している症状やわかりやすい問題だけを拾って、なんとか解決しようと躍起になってしまう……なんてことは、きっとざらにあるのだと思う。それでもやっぱり、この「文脈に注意をはらう」という視点なしには気づくことのできないものがある。
私は学部で社会学を、大学院で文化人類学を専攻しました。どちらも、「常識」とされていることを異なった角度から眺め、「見えないものを見る」ことを目的とする学問です。文化人類学では特に、現地の生活に加わって観察したり、現地の人びとに話を聞いたりすることを重要な研究方法としています。これは異文化を理解することだけを目的とするものではありません。異文化を通して、自分たちの「当たり前」が決して絶対的なものではないと気づくことができるのです。
私は現在、韓国の乳がん患者の語りを通して、家族や医療の問題について考えることを研究テーマにしています。世界共通の病気であっても、なぜ自分がその病気に罹ったのかという解釈の仕方や、その病気を治そうとする方法は、文化や社会によって大きく異なります。その特徴には、それぞれの文化や社会で理想とされている家族のありかた、身体のありかたや世界観が反映されているのです。
澤野 美智子 | 教員紹介 | 総合心理学部 | 立命館大学
私は先日、とある大学の「学校紹介イベント」の一貫として「病院見学」に行ってきた。私は(現時点では)医療系の学部に進むことを考えているのだけれど、その見学会では大学がもつ附属病院内の施設や設備などを、先生方と一緒にまわりいろいろと紹介していただいた。初めて見るものもたくさんあったし、実際のお話なんかもたくさん聞かせてくださったりしてとても有意義な時間だった。……だった、のだけれど。
そのなかで「ん?」とふと心に引っかかったことが1つ、実はあった。というのも「自助具」を作業療法士さんが紹介してくださったとき、彼女は「日本人はやっぱり『ひとに手伝ってもらう』ことにどこか後ろめたさを感じてしまう方が多いんですよね。そこでこのような道具を使って、限定された能力でも『自分で』、うまく靴下を履くことができるようになるんです。」とおっしゃったのだ。それで私はふと思った、「えっそれならもしかしたら、異なる文化……たとえば『日本人よりももっとシャイではないような人たちがいる場所、或いは日本以外のどこか別の文化圏』に行けば、このリハビリ内容もまた変わってくるかもしれない……ってこと?目の前に現れた患者さんの『症状自体』は一見似ているように見えたとしても、いつもいつも同じリハビリが、最適解ではないということ?」と。まあそもそも「日本人はシャイ」などとひと括りにして思考を進めてしまっている時点でそれが矛盾点というかパラドックスというか、ナンセンスだなあとは思うのだけれど(なんだかカタカナの言葉が多くなってしまった)。
それからこれは今ちらりと思い出したことなのだけれど、以前読んだ「タリバン」についての本のなかにも、こんなことが書いてあったりした。
アメリカも、ほかのヨーロッパ諸国も、「アフガニスタンに民主主義を教えないといけない」と思っていたはずです。では、民主主義の基本は何か。それは「選挙」だということになり、選挙制度を整備しようとしたのですが、選挙人の登録になかなか人が来ませんでした。
内藤正典 『教えて!タリバンのこと 世界の見かたが変わる緊急講座』P19~20, ミシマ社, 2022年3月15日
二〇一四年にアシュラフ・ガニが当選した大統領選挙も、総人口約四〇〇〇万人中の一〇〇〇万人くらいしか登録に来なかった。さらに、投票した人は二〇〇万人くらいしかおらず、ガニ大統領に投票したのはその半分の役一〇〇万人しかいなかった。つまり、選挙人のなかだけで考えても、わずか得票率一〇%で選ばれた大統領だったのです。そもそも登録せず、選挙に行かない人たちもたくさんいる。そうなると、民主主義は根付かなかったということを認めざるをえないのですね。
では、根付かなかったのはアフガン人のせいなのでしょうか。
私たち日本の人は、民主主義を最高の政治体制として見ていますよね。そして、それと異なるものは「全体主義」という。この言葉で思い出すのはひどい時代のナチスかソ連の共産党のどちらかですから、「こんなものを再建されたら困る」とみんな思っているわけです。
ところが、アフガニスタンの場合は、第三の体制があったのです。そもそも、多様な民族や部族の代表が延々と議論しながら物事を決めるのが普通でした。選挙で選ばれた多数派、つまり与党がパッパとものごとを決めるやり方は、アフガンの人びとにまったくなじまなかった。
それだけではありません。こういう「熟議」でしか物事を決められないのは、ひどく非効率ではありますが、選挙による民主制とは違った意味で、それなりに民意を反映していたのです。
そこに既にあったもの、を見ないで無視してしまったから。「この私」が持っている価値観だけが世界のものの見方のすべてだと考えてしまって、悪気なんてなくただ純粋に、「私にとっての」善を(結果的には)押し付けてしまったから。……むずかしい、ね。
「文化」って、その人一人ひとりがいままで生きてきた、辿ってきた「文脈」って。きっと「そちら側」から見よう、見てあげようとする心持ちがなければ、すくい上げることなんて到底できないものなのだ……と私は思う。けれどだからこそ、欠くことのできない視点でもあるし、学問のいち分野としても正式に正立しているのだろうなとも一方で思う。
人類学、文化人類学、それからとくに「医療人類学」。
やっぱり一度どこかの機会で、きちんと腰をすえて向き合ってみたい専攻だな。私は。