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『日本恐竜探検隊』
真鍋 真・小林 快次 編著, 岩波ジュニア新書, 2004年11月19日
数日前に読んだ本『楽しい日本の恐竜案内』の最後のページに、「参考文献」として掲載されていたもののうちの1冊(『楽しい日本の恐竜案内』については、下の投稿↓で。)
参考文献となっていた本は他にも何冊かあったのだが、なかでもこれは「ジュニア新書」だったため「少しは読みやすいかな?」と思い手に取った。……がしかし!思いのほか専門的な内容がたくさんだった(でも頑張って読んだよ!笑)。
どんな本?
「日本で発見された恐竜たちがどのように発見され、学会に発表されていったのか?」ということについて書かれた本。発見や研究の「過程」が細かく解説されているので、臨場感を味わいながら読むことができた。
発行されたのは2004年と少し古めの本だが、今でもとても楽しめる面白い本である、ということには変わりがないように思う。
気になった箇所
単系統群だけが分類群
生物の進化を追求する学問の中に、分岐学というものがる。この学問では、「生物のグループ(分類学)は、ある祖先とその子孫すべてをふくんだもの」とされ、これを単系統群とよぶ。たとえば、鳥類や哺乳類は単系統群である。「鳥類」という分類群は、鳥類の祖先とそこから進化した動物すべてをふくんでいる。哺乳類も同じである。
P5~6
しかし、両生類や爬虫類は単系統群ではなく、祖先とその子孫すべてをふくんでいない。両生類から爬虫類が進化した。一方では、両生類から哺乳類が進化し、爬虫類である恐竜から鳥は進化した。一般的に「両生類」と表現した時には、爬虫類、そしてのちに爬虫類から進化する鳥類と哺乳類をふくまない。「爬虫類」も同様に鳥類をふくまない。したがって、両生類も爬虫類も単系統ではないというのだ。このように、ある子孫とそのすべての子孫をふくんでいないグループは多系統群や側系統群とよばれる。
分岐学上、単系統群のみが分類学としてみとめられ、多系統群や側系統群は分類群としてみとめられていない。
「単系統群のみが分類群としてみとめられる」ということは、この本を読むにあたってひじょうに重要なので、ちがう例を使って説明してみよう。
たとえば、〇〇県△△市××町一丁目に住む山田家があったとする(図1・2)。この家族は、両親とその息子三人(太郎、次郎、三郎)という家族構成だったとする。この五人家族すべてが集まったとき、「〇〇県△△市××町一丁目に住む山田家の家族」として言いあらわせる。この場合の「家族」が、「分類群」と対比され、分類群の定義どおり、祖先(両親)とその子孫(子ども三人)すべてがふくまれているので「単系統群」ということになる。
もし、次郎がいなかったりすると、それは家族すべてに相当せず、「〇〇県△△市××町一丁目に住む次郎のいない山田家の家族」となり、単系統群ではない(この場合、側系統群という)。
再研究はクリーニングから
一九三六年の最初の論文から六〇年以上たち、そのあいだにハドロサウルスをふくむ恐竜研究が飛躍的にすすんだ。そのため、ニッポノサウルスの追加研究が必要になってきた。わたしは、北大大学院の修士課程でニッポノサウルスの再研究をおこなうことにしていた。ここからは、わたしの体験をふくめて、どのようにニッポノサウルスの研究をおこなったのかについて触れたい。
P40~41
はじめて見たニッポノサウルスの標本は、四肢骨こそきれいにクリーニングされているものの、頭骨や椎骨は母岩がかなり残っており、また母岩に埋もれた多くの骨が残っていた。最初の作業は、これらの母岩をとりのぞくクリーニングをおこなうことであった。
クリーニングとは、化石から母岩をとりのぞく作業であり、通常はエアースクライバーとよばれるコンプレッサーを使ったドリルが用いられる。また、母岩が石灰質岩塊であれば、酸を使って、母岩をとりのぞくことができる。またこのような手段がなかった時代は、おもにたがねとハンマーを使っていた。
ニッポノサウルスの母岩は石灰質であり、酸がききそうである。しかし、ギ酸につけたところ、骨の方からも泡が出る、つまり溶けるので、酸は使えない。しかもニッポノサウルスの化石はもろく、表面がかなり腐食され、母岩と骨の境界が明らかでないため、クリーニングはひじょうにむずかしかった。そのようなわけで、クリーニング中に標本をこわしてしまうのではないかと思うと、最初このクリーニングがいやでしょうがなかった。
日本人で恐竜を研究している人たちのほとんどが、地学の学問を背景としている人が多い。世界に目を広げていくと、地学を背景にしている研究者は多くいるが、生物学あがりの恐竜研究者も多い。地学からアプローチしている人たちも生物学からアプローチしている恐竜研究者も、純粋な地学者や生物学者ではなく、両方の要素をかねそなえた古生物学者である。この事実は、恐竜は生物界の一部であり、恐竜研究をするためには地学だけでなく生物の知識が必要であることをしめす。この考えも昔からあることで、古生物学者としては常識である。
P199
これらのことを基本にして、現在の恐竜研究は、分岐学、生理学、行動学などに細分化され、それぞれの分野でさらなる発展が遂げられている。とくに、この一〇年は恐竜研究の速度が速いように感じられる。その理由のひとつに、恐竜を研究する人口が増えていることがあげられる。
感想と思考
この本からは、今まで私が知らなかったことをたくさん学ぶことができた。今回の投稿ではその中でも、特に興味を持った3つの部分について引用した。この3つについて、思ったことや考えたことを順に書いていこうと思う。
1つ目:「分岐学」について
一番最初に読んだ本『いまさら恐竜入門』で、「今も生きている『鳥』は恐竜たちの子孫である、というかれっきとした『恐竜』なのである」ということはすでに学んでいた。けれど、それにはこの「分岐学」という大切な分類法が関わっている、ということは今回初めて知った。生き物たちの「進化」を知るのは面白そうだなあなんてこの前思ったところだったけれど、その「仲間わけ」の方法にもまた面白さがあるのでは?と思った。
またこの「山田家」を使った説明も、とても分かりやすかった。この投稿に載せることはできないけれど、実際の本には隣ページに図(イラスト)も載せて解説してくれていたので、またこんがらがってしまったときなどには再度借りて読んでみよう。
2つ目:「クリーニング」について
この部分の文章を読み、私は「クリーニング作業のようすを、一度この目で見てみたい……!」という思いがものすごく強くなった。前回読んだ『楽しい日本の恐竜案内』にはクリーニング中の写真は掲載されていたけれど、それでもやはり「本物」を見たい気持ちはとても大きい。この本の中でも、「実際に目の前で見てみる」ことの重要さについて触れられている部分がある。
じっさいに恐竜の骨を目の前にして、あらゆる方向から観察する。そのときに、骨を手でさわると、意外に目で気がつかない部分を発見する。触感は、ものの形を認識し、記憶するときにひじょうに有効なものなのだと知らされた。あるていどの観察が終わった後、もういちど論文と標本を照らしあわせ、論文が言っている意味を理解する。すると、いままで単なる暗号にしか見えなかった記載の表現が、明瞭な言葉として把握できてくる。
P137
観察があるていど終わると、その化石をスケッチし、なんでもいいから自分の気が付いたことを事細かにメモしていく。最初に目で観察したはずの骨でも、スケッチという作業によって、いかにあいまいにものを見ていたのかということがわかる。さらに、その骨のあらゆる部分を計測し、写真をたくさん撮って、観察という作業が終わる。
また機会を見つけては、クリーニング作業を見られる場所を探して行ってみようかな。
3つ目:「生物学との関係」について
「『恐竜』と『地学』は、関係があるのだろうな~」ということは何となく想像がついていたけれど、「『生物学』とも関係がおおいにある」ということは、「言われてみれば確かに!」というかんじだった。また日本と世界の研究者たちを比べたときに、同じ「恐竜」という分野の研究者たちなのにどの場所からアプローチしているかに異なる傾向がある、というのも面白いなと思った(もしかすると今とこの本が書かれた当時とでは、また違った面があるのかもしれないけれど)。
「恐竜」たちのことをもっとよく知るために、「地学」はもちろんのこと「生物学」についても学ぶ必要があるなあ!と思った。何か面白そうな本はあるかな?よさげなものが、見つかるといいな。
……これで今回の投稿は終わり!これからもどんどん新たなことを知ったり、「本物」を見たりしたいな~。