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『君だけの声を聴かせて 奇跡の米国子ども合唱団を率いる日本人』
福田 真史; Masa Fukuda (著), PHP, 2018年4月10日
どんな本?
私のだいすきな合唱グループ “One Voice Children’s Choir” の指揮者・福田真史 (Masa) さんによる本。
十人十色の子どもたちに対して、また「音楽」というものに対して、Masaさんはいかにして向き合い、何を大事にしてここまでやってこれたのか。彼の、そしてOVCCそれ自身の核となるたいせつな考え方について、理解を深めることのできる1冊だった。
気になった箇所の引用
僕が最も重視しているのは、子どもたちのユニークな個性を大切にすること。
P13~14
子どもたちには、「君だけが持っている、君だけの声を聴かせて」と一貫して伝え続けています。子どもたちは、自分をよく見せようと思ったり、背伸びしたり、取り繕ったりしなくていいのです。そのままの、その子だけが持っている輝きが誰にでもあります。それを見つけ出して、伸ばしてあげるのがディレクターの役目です。そして、一緒に音楽を楽しむこと。たくさんの人と素晴らしい音楽を分かち合うこと。
それが、子どもたちに本質的な自信をもたらし、彼らの才能を育てることになると信じています。
支え合える関係をつくること。子どもたち全員の居場所をつくること。それが合唱団の第一の目的です。信頼関係や安心感が土台にあると、子どもたちは思う存分に能力を発揮することができます。モチベーションを高め、チャレンジ精神を持ち続けることができ、もちろんチームワークの力も高まります。
P33
そして何より、競争をしなくていいので、子どもたちは純粋に一〇〇%音楽を楽しむことができます。そのような経験が、音楽を通して聴き手を感動させる力をしっかりと培うことになるのです。
小学校を卒業した僕は、神戸にあるマリストブラザーズ国際学校の中学部へ入学しました。母の予想通り、アメリカンスクールの校風は合っていたと思います。
P80
僕自身は何も変化していないのに、先生から良い評価をもらえることが増えたように記憶しています。周りからの評価なんて、実のところこんなものなのです。環境が変わるだけで、同じことをしていても評価が変わるわけです。だから自分自身が納得している限り、誰に何を言われようと気にしないのが賢明です。
自分のソロパートについては、当然責任を持って練習してもらいます。それに加え、僕は「自分が歌う以外のソロパートも覚えておいてね」と子どもたちに伝えます。そうすれば、誰かが歌えなくなったときにカバーできるからです。
P119~120
たとえば、イベント当日になって一番のソロを歌う子が病欠することがあります。そうなった時に、「誰かカバーしてくれる?」と尋ねると、多くの子がすべてのソロを覚えているので、二〇人くらい手が挙がるのです。
また、パフォーマンスの最中に二番のソロを歌う子が緊張し過ぎて声が出なくなっていたら、僕は指揮をしながらすぐさま一番か三番のソロの子に目配せをします。すると、その子はすぐに気づいて頷き、一緒に歌ってあげるのです。上手くカバーすれば観客は気づきません。
「誰かが歌えなくなったら、すぐに助けてあげられるようにしておいてね。何かあった時、臨機応変にカバーするのがプロだよ」
と日頃から伝えているので、このようなことが当たり前となっているのです。
誰かをカバーする時は、トラブルやミス、予想外のことが起こった時です。そういったことはネガティブな印象がありますが、カバーし合うことでそれがポジティブに変わることがほとんどです。これはとても音楽的なこと。ジャズのセッションでもそうでしょう?不測の音にも臨機応変に反応して、より良い音楽をつくり上げるという醍醐味があります。
助けてもらった子は嬉しいし、助けた子もカバーできたことに喜びを感じる。何の問題もなくパフォーマンスが終わった時よりもお互いの絆がより深まるのです。
ワン・ボイスのパフォーマンスを観て、
P140
「悲しい歌でもないのに、彼らの歌声を聴いていると涙が溢れてくる」
と言ってくれる人がたくさんいます。
子どもたちの歌から「何か」を感じ取ってくれたのです。それはいったい何でしょうか?
表現方法は色々あると思いますが、僕は「歌に込めたメッセージ」だと思います。歌唱力という技術的な部分に感動したというよりは、子どもたちの思いに心が動かされたのでしょう。
僕は昔から、聴く人を感動させる音楽にこそ価値があると思っており、経験を重ねるに従ってそれは確信に変わりました。感動を呼び起こすのはパフォーマーからの「メッセージ」です。歌い手の「これを伝えたい」という思いが、聴き手の胸を打つのです。
メッセージがダイヤモンドだとしたら、「滑舌の悪さ」や「音程のずれ」は、その周りについている埃や汚れなのです。それを一つひとつ丁寧に取り除いていくと、真のメッセージを輝かせることができます。
P147
だから、埃や汚ればかりに注目して取り除くことを目的にするのは本末転倒です。歌の技術を高めることはメッセージを輝かせる手段。上手く歌えるようになることが目的ではないのです。
ワン・ボイスに入って八年経った今も、彼女は少し恥ずかしがり屋です。でもともに音楽を愛し、家族のように支えてくれる仲間のおかげで、大きく成長しました。ソロにも挑戦し、ためらうことなく音楽で自己表現をしています。
P162~163
仲間から受け入れられていると感じると、子どもたちは自然と自信を持つようになります。そうやって成長した子たちは「ここは他の場所と違う。だれも自分を否定しないし、そのままの自分でいられる」と言います。
そして「自分がしてもらったように私もみんなを支えよう」と思うようになるのです。
彼女のような子は、上手く自己表現ができなかったり、一歩を踏み出す勇気が持てなかったりする子の気持ちがよくわかるので、「自分も同じだったよ」と励ましてあげることができます。彼らは、つらい経験をしてきたからこそ、周りに貢献することができるということに気づき、さらに大きな自信を身につけるのです。
感想と思考
引用箇所のうちのひとつ、
僕自身は何も変化していないのに、先生から良い評価をもらえることが増えたように記憶しています。周りからの評価なんて、実のところこんなものなのです。環境が変わるだけで、同じことをしていても評価が変わるわけです。
P80
の部分を読んだとき、私はふとあるべつの本(小説)、 “Fish in a Tree” を思い出した。
↑これね。
思い出した、と言ってもまだ実はタイトル(とあらすじ)を小耳にはさんだことがあるだけで、実際に読めてはいないのだけれど。
私にも今まで、自分のいる「場所」に対してうまく言葉にできない違和感をおぼえていた時期は何度もある。英語で言うと “disgust” みたいなかんじなのかな(あっでももしかしたら、ニュアンスが少し違うかもしれない)。分からないけれど。
周りの大人たち、たとえば先生だったり親だったり、はよく私(たち)に対してこう言っていた。
「そのうち慣れるよ」
「新学期だもんね。時間がたてば少しずつ、新しい友達も作ることができるはずだよ」
確かに、そうなのかもしれない。でも不器用な私は結局いつになっても、大人たちの言う「そのうち」に到達することはできなかった。いつまでたってもずっとずっと、 I’m adjusting のままだった。「どうして私は大人たちのいう『みんな』みたいに、集団になじむことができないの?」とひとりこっそり涙で枕を濡らした夜が、いったい何度あったことか。
だけど。今回の本『君だけの声を教えて』を読み終えた今の自分は、こんなふうにも思っている。べつに、そのままでもいいんじゃないかと。無理になじもうとしなくても、 adjust しようとしなくても、べつにそれはそれでいいんじゃないか、と。そしてそんな自分のことを負い目に感じたりする必要なんかも、なにもないんじゃないか、と。
なぜなら私にだってちゃんと、「私だけが持っている、私だけの声」があるから。ちなみにこの本ではテーマが「合唱団」だったから「声」となっているけれど、私自身に当てはめるそれは必ずしも「声」でなくてもいい。
今のこの私、そのままの私でいられる場所を、これからゆっくりと探していけばいい。もしそれが見つからないのであれば、自分でつくりあげさえもしてしまえばいい。そしてもし自分に足りない能力が必要とされる場面に出くわしたときには、自分とは違うその「声」をもつ他の誰かに、ちょっぴり助けてもらえばいい。そうやって一人ひとりが「自分のまま」ですごすなかで、互いに助けたり助けてもらったりし合えば、それでいいんじゃないかな、って。
今の自分にはそんなふうに考えることが、できるようになっていたり。
私が、心から「私」でいられる場所。この先の私の未来にいつか、築くことができているといいな。